2012年7月5日木曜日

またまた、「以心伝心なんてない!」話。


6月1日付で、他の担当者が「以心伝心なんてない!」という日記を書いていましたが、私も今日はその話題です。

私も98パーセント「以心伝心なんてない」と思っている派です。(ちなみに残り2パーセントは「あったら素敵だな」という願望かな。)

日本では以心伝心、つまり「もの言わずして通じる」ことを好む文化があるように思います。
以前授業で扱った、とある評論文によると、これには日本の地理的な要素が大きく影響しているのだそうです。
大陸の、他国と陸続きの国々に比べ、海に囲まれている日本には、「外」から異文化を持って進入してくる人がそう多くなかった、つまり、周囲にいるのはある程度「固定メンバー」ばかりだったということです。そのため、共通の経験も多く、長年の積み重ねで互いの事情がよくわかり、すべてを説明しあわなくても十分やっていけた、そんな中で「多くを語りすぎる」ことは、かえって「他人行儀すぎて水くさく、無粋な行動」として敬遠されていった、というのです。

が、これは昔の話。

今の世の中では、私たちは「学校」「習い事」「クラブ活動」「職場」など
など様々な集団に属しますが、そこに集まってきているのは「生まれた場所」も「育った環境」も異なる人ばかりです。「育った環境」が違えば「文化」も違います。私は、某テレビ番組(県による文化の違いを紹介する)が好きで、よく見るのですが、見るたびに「自分の常識は他者にとっては常識ではないのだ」ということを感じます。外国の人どころか、日本人同士でも実は伝わらないことだらけ!言わなくてもわかるなんて、幻想に過ぎません。

それなのに平成のご時世になっても、「以心伝心」信仰は根強く、むしろ、「言わなくても察する」ことを相手に期待する傾向はどんどん強まってきている気がします。


「空気を読む」という考えがそれにあたります。自分からは何も情報発信しないくせに、相手に「空気を読んで」察することを求める、うまく察してくれないときには、「KY(空気が読めない)な奴だ」と、さも相手のせいであるかのような言い方をします。


最初から以心伝心なんてあり得ません。

省略しないできちんと話しましょう。

話して、時にはぶつかって、また話して、共通の体験をたくさん積み重ねて・・・
そうやってようやく到達できるのが「以心伝心」の境地だと思うのです。
(それが私のあこがれる「2パーセント」。)                          

Chie