最近の若い人たち(という呼び方をして改めて自分の年齢を自覚します)を見ていると、余計なお世話ながら、「いつ『外』の世界を見るの?」と心配になります。
もちろん、皆さん、外にはしょっちゅう出かけています。
でも、「外」で何をしているかというと、
・駅でも、電車やバスの中でもずーっと携帯を見ている。
・歩きながらずっと携帯で「知り合いと」話している。
・自転車に乗りながら(歩きながら)、ずっとiPodの音楽を聴いている。
体は外にいますが、心は「内側」を向いているんです。
私には、これらの姿が、どこに行くときも「自分の世界」を持ち運んで、ところかまわず「自分の世界」に入り込んでいるようにしか見えないのです。
まるで、居心地のよい空間から出るのをいやがっているように。
まるで、周りとの交渉を拒んでいるかのように・・・。
もっと周りを見ませんか?
白川通りでは街路樹のくちなしに花が咲いて、甘い香りをふりまいています。
へえ~、信号の工事って、こうやってするんだ!
電車の中でさりげなく人間ウォッチング。
もっと周りの音を聞いてみて!
女学院の近くでは、まだウグイスが鳴いています。
夏のホトトギスの声に混じって、春の声。
「外」から来るものたちは、情報と呼ぶにはちっぽけすぎるささいなものですが、受け取るたびにこれまたちっちゃく心が反応します。
これをいくつも繰り返しているうちに、少しずつ心が広がっていくのではないでしょうか。
このような外との交流が、人には必要な気がします。
Chie