2012年7月30日月曜日

外を見よう!


最近の若い人たち(という呼び方をして改めて自分の年齢を自覚します)を見ていると、余計なお世話ながら、「いつ『外』の世界を見るの?」と心配になります。

もちろん、皆さん、外にはしょっちゅう出かけています。
でも、「外」で何をしているかというと、

 ・駅でも、電車やバスの中でもずーっと携帯を見ている。
 ・歩きながらずっと携帯で「知り合いと」話している。
 ・自転車に乗りながら(歩きながら)、ずっとiPodの音楽を聴いている。

体は外にいますが、心は「内側」を向いているんです。

私には、これらの姿が、どこに行くときも「自分の世界」を持ち運んで、ところかまわず「自分の世界」に入り込んでいるようにしか見えないのです。

    まるで、居心地のよい空間から出るのをいやがっているように。
    まるで、周りとの交渉を拒んでいるかのように・・・。



もっと周りを見ませんか?
白川通りでは街路樹のくちなしに花が咲いて、甘い香りをふりまいています。
へえ~、信号の工事って、こうやってするんだ!
電車の中でさりげなく人間ウォッチング。


もっと周りの音を聞いてみて!
女学院の近くでは、まだウグイスが鳴いています。
夏のホトトギスの声に混じって、春の声。

「外」から来るものたちは、情報と呼ぶにはちっぽけすぎるささいなものですが、受け取るたびにこれまたちっちゃく心が反応します。
これをいくつも繰り返しているうちに、少しずつ心が広がっていくのではないでしょうか。

このような外との交流が、人には必要な気がします。

Chie 

2012年7月27日金曜日

雑談と会議


雑談と会議
けんかと議論


この4つのそれぞれの違いを説明できますか?


社会人として、仕事中にするのは右の2つだ。
「※ブレインストーミング」なんて新語が登場してきたけれど、
子どもたちの方がかなり進んでいるようにも思う。

右の2つには、どちらも目的意識がはっきりとしている。
話し合いで構築されたものをもとに、
事業計画を決定し、評価し合う。
また、改善を促しあうこともできる。

議論していると、「けんかしてるの?」と言われ、
会議していると、「雑談」と間違われる。

でも、一人より二人の方が明るい光を見つけられるかもしれない。



結局みんな、しゃべりたいのか…!


ブレインスト―ミングとは;
あるテーマについて、参加者が自由に意見やアイデアを出し、それらを関連付けたり発展させたりして、結論に導き出す方法。
ブレインストーミングのルール;
①思いついたことを積極的に ②実現不可能だと思われることでも ③他の人の意見を否定せずに ④いいなと思う意見に乗り換えてもいいよ。

Key

2012年7月25日水曜日

なりわい


市川亀治郎さんが猿之助さんという大きなお名前を継がれるとのこと。

本校の卒業生にも、家業を継いでいる方々がおられます。
京舞井上流家元       井上八千代さん
華道家元池坊 次期家元   池坊 由紀さん
まだまだたくさんいらっしゃるのですが、家業を「継ぐ」というのは大変なことなのだろうなぁと思います。

命を受け継ぐこと
芸を受け継ぐこと

私たちの生きる意味がそこにあるのかもしれませんが、
大きな重圧の中でお仕事を担われているのだといつも感心します。

ところで人間は次世代に頭脳を継承できたら、
今この世代は、どれだけの進化をとげていたのだろうと思ったことはありませんか?

でも、現実はそうではありません。

これは、謙虚に生きよという神の教えなのではないでしょうか。
常に一からコツコツと。
さぁ、わたしたちも諦めずにやってみましょうか!

Key

2012年7月23日月曜日

年の差の友達


私には、70歳代のお友達がいます。
スポーツクラブのお風呂友達です。
一緒に歌舞伎を観劇したり、ご飯を食べたり、歯医者さんを紹介してもらったり。

歯医者のさちこ先生には、
「どう言うご関係ですか?」と聞かれ、2人それぞればらばらに「友達です」と答えたらしいのです。
そのお友達は、いろんな人と出会い、いろいろな経験をしてきたことでしょう。
その方は、いま私を受け入れてくれている。
私は、そのことがとてもうれしいのです。

Key

2012年7月20日金曜日

床はゴミ箱ではない



「床はゴミ箱ではない」
これは、教室で生徒に向かって言う言葉です。
プリントの切り貼りをノートにした後、その切れ端を床に落とす生徒がいます。

公道を歩いていると、たばこを吸った後、道路にたばこの吸い殻を捨てる人がいます。

両方の人に、同じように声をかけてみましょうか。
「落としましたよ」と。
私には、どちらもその周りでお掃除をしてくれる人の姿が見えるのです。

あなたの「背景を見る目」はいかがですか?

Key

2012年7月18日水曜日

嫌いにさせていませんか


私たちは、自分の指導技術を向上するための研修会に出かけることがあります。
わが子(HR)があるとなかなか留守にはできないのが現状ですが、
昨年と同じことばかりはしていられません。
研修会の内容は、各教科の指導テクニックや教材の紹介など多岐にわたります。

R先生のお土産話。
その日の講師の先生が、いろいろ最先端の技術を紹介した後、
「先生方、なんで教師になったんですか?
あなたの教える教科を、生徒に嫌いにさせていませんか?」
おっと、これは痛いところをつかれた、とその先生は思ったそうです。
教科の楽しさを伝えるために自分はいるはずなのに、
自分のせいで生徒がその教科を嫌いになるなんて。
なんて罪深い事をしてしまったのか…

今日を反省、
明日はきっと好きにさせてみせる!

Key

2012年7月17日火曜日

キリスト教死生観 シスターの死


家族にはいつまでも長生きしていてほしいと思う。
「死」は悲しい。
仏式のお葬式なんかは、本当に悲しすぎて涙が出る。
一方、キリスト教のお葬式はある意味「明るい」。
あるシスター(修道女)の話。
シスターは100歳を過ぎても、なかなかお呼びがかからない。
神様が、「まだ働け」「まだ働きが足らん!」と言っておられるかのように、
祈っても祈っても死ねない。
とうとう祈りが通じたのか、神様の仕事をし終えたのか(使命)、神が呼んで下さった。
つまり、シスターに死が訪れたのである。
その時のお葬式は、「やっと神様はお疲れさまって呼んで下さったのよ。シスター良かったね」と言って赤いバラの花で送ってあげたそうだ。

私たちは、神様からの仕事(使命)をそれぞれ賜ってこの世に生まれ出ている。
病気を持って生まれる人生も、結婚し子どもを育てる人生も、それぞれ神が望まれている。
その仕事を終えた時に、死が訪れるのだ。
私たちは、白髪一本自分で変えられないのだから、きっとそうなのだろう。

そうか、神様が呼んで下さるときまで、
頑張って働こうと思う。

Key

2012年7月14日土曜日

祇園祭


13日に期末テストが終了し、この週末は祇園祭ですね。
17日(火)は山ほこ巡行があります。
登校時・下校時には、十分安全には気をつけましょう。

京都は観光都市です。
伝統と新しいものへの取り組みを繰り返しながら、
新しい歴史が重ねられます。
私たちの世代で途絶えさせることがないよう、大切に、そして心から楽しみましょう。

Key

2012年7月13日金曜日

お土産は消え物で


私たちは、一体この世に何を残せるのだろうか。
最近、家の片づけをするのが職員室(女子)の中の流行り。
だって、「またいつか」と言って別れた仲間と、
本当に会わないかもしれないから。

最近は、「終活」という言葉があるそうだが、
ちゃんと片付けしておかないと家族が困るという意味で、
遺書を書いたり、ものの片づけをする終末の活動。
「婚活」より「終活」の話が先か、と笑ってしまうが、
話している私たちは真剣そのもの。
いろいろ考えた結果、捨てることにした。
どうせ死ぬ時は裸で死ぬのだ。何も持っては行けぬのだ。
「人間は裸で生まれ、裸一つで神のもとに帰るのだ」
そうなると、最小限のもので心豊かに暮らす方がいいような気がする。

宝石も高価なバックも、あまり私には必要なさそうだ。
お土産は、「消え物」芸能界用語で「その場で消化される小道具」で。

Key

2012年7月11日水曜日

学校一の男前


学校一の男前をご紹介します。
もう、本当に格好良いですよ。還暦を過ぎているとは思えない、その体つき。

「あの~、こんなん作ってほしいんです…」「あの~、…」
なんて言おうものなら、次の瞬間に「こんなんどうや!」
毎日、校門前のお掃除や、校内の修繕、わたしたちの癒しにと
学校中を走り回ってくださいます。
体育祭などのイベントの際には、誰よりもサクサクといろいろな仕事をこなし、
さわやかに去っていきます。
こんな先生に、ノートルダムは支えられているのです。

いつもありがとうございます。




Key

2012年7月10日火曜日

ごめんまりこ…


昨日の続きです。
「あなたの不注意でミスをしてしまいました。課長は今回のミスの件だけでなく、今までの失敗のこともくどくどと蒸し返し、やる気がないのなら辞めてもいいとまで言いました。課長にどうやって謝りますか?」
あなたなら、どのようにアサーション(自己主張・謝り方)をしますか?

6月28日(木)の7時限目 高1「みらい科」は、各クラスごちゃ混ぜで4人グループを作り、「アサーション」の発表です。4人で意見を出し合い、セリフにして発表するのですが…。


この課題が割り当てられたグループの生徒、特に、くどくど言う課長役になった生徒の上手なこと。
謝る方も必死です。が、うれしいことに6時限目に練習した成果が出ました。

ちょっと披露します。『ごめんまりこ』が基本の形です。
ま 「間違いや、自分の過失をまず認める」
り 「理由や事情を話す」
こ 「これからは…」「今度は必ず…」など、今後の解決の提案をする。
とこんな感じです。
もちろん、言い方のトーンや表現にも気をつけて…。

見事にうまくいきました!課長役も納得。
でも、一番良かったのは、課長に謝る時、横に友達が一人ついてくれたこと。
実社会では、上司に謝る時、友達が横についてくれることはまずないでしょうけど。
ここは学校。
立派な4人のチームワーク。妙に感動してしまいました。




2012年7月9日月曜日

自己主張は難しい


6月28日(木)、高1「みらい」を6.7時限で行いました。
テーマは、『アサーショントレーニング』。
アサーションとは「自己主張」のこと。
自己主張というわけは、何かわがまま言い放題とか目立ちたがりとかを連想しますが、それではだめで、相手にも自分にもストレスがたまらないように、周囲と接することを常に心がけるべきです。それをトレーニングしようと言うのが、『アサーショントレーニング』。

例えば、
…「この間貸したペンそろそろ返してくれない?あのペン気に入っていたから、ないと困るんだけど!」と言われて、
「えー、そんなの知らないよ。わたしちゃんと返したもん!」と返事されたらどうですか。
あるいは、「えーっ…?あれっ?う、うーん……。」でも×。
では、どう言えば、お互いの心が痛まず、友達との間にひびが入らないか。
一人ひとりが考えて、学年全体で分かち合いました。これが六時間目。

そして、7時間目は、4人ずつのグループに分かれての実践。9つのシーンのうちの1つが割り当てられて…。

その中の一つのシーン。
「あなたの不注意でミスをしてしまいました。課長は今回のミスの件だけでなく、今までの失敗のこともくどくどと蒸し返し、やる気がないのなら辞めてもいいとまで言いました。課長にどうやって謝りますか?」という、社会に出て働くようになる10年後に役に立ちそうなのもありました。

さぁ、みなさんならどうしますか?
明日は、生徒の反応をご紹介します。




2012年7月6日金曜日

「愛」のはなし① 「信じる」


キリスト教は「愛の宗教」です。
なんて聞くと、気持ち悪いと言われそうですが…。
宗教を「信じて」いるなんて、馬鹿げていると思いますか?

わたしたちは、この世の様々なものを「信じて」生きています。
目に見えるものも、目に見えないものも。
「信じる」というのは、とても人間的な行為です。

皆さんはお母さんの皆さんへの「愛情」がみえますか?
友達同士の「友情」がみえますか?
「愛情」も「友情」も実は見えません。
見えているのは、「働き」だけです。

風が見えますか?風は見えません。
風の吹いた後、風自身は見えませんが、
「カーテンがそよぐ」「木の葉が揺れる」
など、風の働きが見えます。

「神様」も同じです。
「神様」は誰にも見えません。だけれど「働き(キリスト教では聖霊と言います)」は見えます。

人間は、そんな不安定なものだと知ることも、実は大切ではないでしょうか。


Key

2012年7月5日木曜日

またまた、「以心伝心なんてない!」話。


6月1日付で、他の担当者が「以心伝心なんてない!」という日記を書いていましたが、私も今日はその話題です。

私も98パーセント「以心伝心なんてない」と思っている派です。(ちなみに残り2パーセントは「あったら素敵だな」という願望かな。)

日本では以心伝心、つまり「もの言わずして通じる」ことを好む文化があるように思います。
以前授業で扱った、とある評論文によると、これには日本の地理的な要素が大きく影響しているのだそうです。
大陸の、他国と陸続きの国々に比べ、海に囲まれている日本には、「外」から異文化を持って進入してくる人がそう多くなかった、つまり、周囲にいるのはある程度「固定メンバー」ばかりだったということです。そのため、共通の経験も多く、長年の積み重ねで互いの事情がよくわかり、すべてを説明しあわなくても十分やっていけた、そんな中で「多くを語りすぎる」ことは、かえって「他人行儀すぎて水くさく、無粋な行動」として敬遠されていった、というのです。

が、これは昔の話。

今の世の中では、私たちは「学校」「習い事」「クラブ活動」「職場」など
など様々な集団に属しますが、そこに集まってきているのは「生まれた場所」も「育った環境」も異なる人ばかりです。「育った環境」が違えば「文化」も違います。私は、某テレビ番組(県による文化の違いを紹介する)が好きで、よく見るのですが、見るたびに「自分の常識は他者にとっては常識ではないのだ」ということを感じます。外国の人どころか、日本人同士でも実は伝わらないことだらけ!言わなくてもわかるなんて、幻想に過ぎません。

それなのに平成のご時世になっても、「以心伝心」信仰は根強く、むしろ、「言わなくても察する」ことを相手に期待する傾向はどんどん強まってきている気がします。


「空気を読む」という考えがそれにあたります。自分からは何も情報発信しないくせに、相手に「空気を読んで」察することを求める、うまく察してくれないときには、「KY(空気が読めない)な奴だ」と、さも相手のせいであるかのような言い方をします。


最初から以心伝心なんてあり得ません。

省略しないできちんと話しましょう。

話して、時にはぶつかって、また話して、共通の体験をたくさん積み重ねて・・・
そうやってようやく到達できるのが「以心伝心」の境地だと思うのです。
(それが私のあこがれる「2パーセント」。)                          

Chie

2012年7月4日水曜日

ごみ袋という運命


同僚の先生の考察は、いつも面白い。
今日は、ある理科女子の話。
彼女は、「作家志望」の過去があり、わたしのこの日記にも
実は厳しいコメントをくれる人かもしれない。 が、忙しくて読んでくれない。

しかし、彼女からの話を一つ。
「ごみ袋って、切ないよなぁ…」
「はぁ?」
「だって、『ごみ袋』になるってわかっていて、この世に出てくるんやで。
ごみ袋やで。」
なるほどでしょ?
「ごみ袋」は、初めから「ごみ」になることが定められている運命なのです。
人間でそんなことがあるのなら、あまりにも切なすぎます。

最近は、雑巾も売られていますよね。
昔は、使い古しのタオルを縫って使っていたものですが、4月の雑巾提出の様子を見ると、
スーパーで買ったものが多くなりました。雑巾になるべくして生まれたその布は、雑巾としてのみ一生を終えるのです。

現代、ものの一生はずいぶん早いサイクルになってしまったように思います。
なんだか、「切ない」



Key

2012年7月3日火曜日

いろんな仕事がありますが…


生徒たちのあこがれの職業…「特にない」
最近、輝いている大人が… いない。

こんなことを聞くと、なんだか、悲しくなりますね。
私自身は、中高生の時に「職業」への憧れをそれほど抱いていたわけではありません。
実際、大学在学中にでさえ「教職員」になることを考えたことはありませんでした。
しかし、ご縁があり(「縁」は仏教用語ですが)、ノートルダムでの奉職についています。

神様が用意される「道」は分かりませんが、
それぞれ個々に最も良い「道」をくださるのだろうと思います。

しかし、まず人間は、自分の知り得ている情報で判断するわけですから、
生徒が判断する時期には十分な情報を手にしていることが大切です。

日ごろから、「大人の輝く姿」、「働くことの意義」を見せていきませんか。
出会わせたい「大人」の姿があれば、ぜひご紹介ください。

広い意味での「キャリア教育」は、どの学校でも進んでいますね。
本校でも、自分自身の「10年後、20年後の自分」を描き、そのサポートができればと思っています。


中3みらい科では、10月に職業人講演会を企画しています。
先ほど、大人会議で講演をお願いする職業を選びました。
これから、講演していただける先生方に依頼を始めます。皆さん、お楽しみに。

2012年7月2日月曜日

ネコ大学


皆さんは、ネコ派ですか?イヌ派ですか?

私は、「人と広く浅くお付き合いするのが得意」「あまり深入りされるのを好まない」「基本的には愛想が悪い」などなど、一般の女子が占いで言われるこれらのことはまぁ当たっているなぁと思います。そうか、前世は猫かもな、と思う時もあります。

ところで、兵庫県淡路島に淡路市中浜稔猫美術館というところがあります。

中浜稔さんは、もともとデザイン事務所で活躍されていたのですが、
猫の絵をたくさん書かれていたこともあって、出身地に猫の美術館を作られました。
家族で美術館を訪れた際、愛らしい・ふてぶてしい猫たちを何時間も目を細めながら眺めてしまいました。小さな美術館ですが、日本版「CAT’S」の世界ですよ!ぜひ、ご家族でどうぞ。

中浜氏は、「ニャンニャン学の開祖」なのでそうで、
「ニャンニャン大学」を開校されています。(絵の講習会など)
Key